概要

大正十二(一九二三)年の関東大震災で築地本願寺が罹災し、再建にあたって境内にあった多数の墓地を移転する必要にせまられました。当時の大蔵省所管だった陸軍省火薬庫跡地約一万一千坪の払い下げをうけ、築地から仮本堂として使用されていた建物などを移築して和田堀廟所が設立されます。当時は児童公園や幼稚園が併設され、本堂も瓦葺の木造であるなど現在とはかなり趣の違うものでしたが、それも昭和二十(一九四五)年五月二十五日の空襲によって御本尊および御影を除き悉く焼失してしまいます。しかし、戦後の混乱が続くなか、有縁の方々のご苦労により、インド仏教様式の新本堂が再建され、昭和二十九(一九五四)年に大谷光明猊下の御親修で落慶法要が勤められました。
都心からほど近く、多くのみなさまに親しまれ、ともに歩み続ける心安らぐ墓所です。



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